※流血表現少しあります


 取り替えられることもなくただ密やかに確実に
 腐っていく


   004:汚れた包帯

 空気が揺れるほど藤堂は鳴動した。秘された立場さえ忘れて声高に問いただすと使者が震え上がる。作戦は成功した。戦力は藤堂の読みのとおりに働き結果を出した。問題なのは被害の内容だった。瞠目する藤堂のそばで朝比奈が両手を上げる。使者は遠慮がちに声を絞り出した。卜部中尉が負傷したという情報があります。未確認です、現在事実確認中で。脳裏に広がる戦略図をめくりながら藤堂はあらゆる可能性を考え含める。卜部を置いた位置と敵対戦力と経過。動静に変化があったはずだ。卜部も藤堂の腹心である四聖剣に名を連ねるものとして戦闘力は高い。人造物に囲まれた無機的な空間で藤堂一人がしきりに振動する。爪を噛む真似はしないが指先は幾度と無く落ち着かなげに口元を移ろう。引き結ばれた口元はなにか言いたげに震えては果たさない。次々に流れこむ報告を整理し分析し次の手を打ちながら極めていた。探すと、極めた。
「卜部中尉の現在地不明です。処理班が見失いました」


 かつん、と靴音が鳴る。舗装された路地裏や地肌が露出したままの大通りを歩く。絶え間ない工事を繰り返すのはただの惰性だ。違法に引かれる青写真を元に破壊と修復が繰り返される。青写真そのものがそっくり途中で取り替えられることさえありふれる。日雇いの工事夫は気にも留めずにただ図面通りに壊しては作る。問題なのはその日の労働時間でその行為が何を担うかは埒外だ。薄手の外套を羽織った藤堂はどんどんと路地の裏手へ入り込む。外套は防寒というより服装を隠すために着ている。軍服を着ているわけではないが白いシャツや効いた糊はこの界隈では目立つのだ。磨かれた靴先が汚水へ浸る。そのことに藤堂はどこかで慣れているのを識っている。
 報告と作戦の終了をもって藤堂は任を解かれた。呼ばれれば行くだけだし要らぬと言われれば引き下がる。藤堂個人宛てに卜部からの連絡があった。短い定型文のそれは幾重にも秘められた二人の間でのみ通用する記号だ。敗色の色が濃いこの地域での治安は劇的に低下した。その分いかがわしいものも入り組んだ。今日日路地裏を男二人で連れ合うくらいなんでもない。それでも藤堂が連絡の決まり事を望んだ。けじめのつもりだった。分けなければ溺れる予感があった。

 いつもの、場所で

卜部からの連絡はその一言だけしか読み取れなかった。少なくとも現在の藤堂の位置ではそこまでしか解読できなかった。時間帯の指定がないのは卜部の側にも時間的な制約があるのだろう。伸びる腕を払いのけては裏へ行く。場所は合っているはず。廃墟だ。ことごとく割られた硝子の破片がほこりまみれの床を雲母引きにする。埃は砂利さえ含む。藤堂は棒立ちのままそこで待った。卜部とのやり取りを思い出す。どこへいるのだと訊いたら隠れ処にいるとあっさり言われた。その隠れ処の所在を問うても言わない。誰も知らないから隠れ処なんですよ。
 のそりと動くものがある。藤堂は驚きもそれずにそれを見つめた。月白に透ける髪は縹藍の蒼い艶。ひょろりとした痩躯には何も鎧わない。白いシャツを着ている。襟も合わせもボタンで留めずひらひらと風がなぶるままにさせている。それがこの界隈での流儀だ。腹部にぼやりと浮かぶのが包帯なのだと気づく。
「負傷したと、報告が」
藤堂の渇いた喉が引き攣れた。ゴクリと飲み込む唾でさえどろりと粘性を帯びた。
「怪我はしましたよ」
あっさりとシャツの前を開く。腹部から胸部が包帯で抑えられている。衣服で隠れる場所はどんな有様なのかと気をもんだ。
 卜部は変わらない藤堂の表情にふんと鼻を鳴らす。俺の怪我なんかなんで気にすンの。心配だからに決まっている。即答だ。迷いも惑いもない。藤堂にとって卜部の体調や機嫌は無視できないものだ。思い煩う藤堂を嗤うように卜部に力みはない。藤堂ばかりが勇んだ。どこにいるのかどんな状況なのかを言いなさい。言いつける物言いなのは藤堂の綻びだ。荒んだ軍隊生活の中で子どもたちに武道を教えるときだけ藤堂の心は潤った。守らなくてはいけないという意識も働く。守るべきものの中に自分の部下をも含む。十人並み以上の戦闘力を保っていると判っていても藤堂の守護意識は明確に働いた。情を交わす相手であればなお強い。相手に好くしてやりたい思いが、相手を危険から遠ざけたり守ったりする行動へつながった。
 「だからな、なんで?」
倦んだように力の入らない卜部の問に藤堂は首を傾げた。設問の意味が判らなかった。藤堂の中で卜部を守ることはもう絶対的に正しいことで、正誤さえ問わぬ当たり前のことだ。その問いは藤堂にとってはなぜ呼吸をするのかという至極当たり前で根幹を問うことだった。
「なぜそんなことを訊く。私はお前を」
にぃ、と卜部の口が裂けた。嗤う口元は飄然として欲望を悟らせない。そこがおかしいだろ。どこ。

「あんた俺を殺したいのか?」

水槽の中で飼うなら魚だけにしとけ。言い捨てる卜部の言葉には明らかな悪意がある。藤堂の内部では恐慌が奔った。切りつけてくる卜部の言葉の意味が判らない。痛みと悪意ばかり感じる。ただ己がなにかしくじったことだけは判って、ただそれがどういうものかさえ判らない。どう取り返すべきかも判らない。
 惑う藤堂の目の前で卜部の包帯に染みが広がっていく。仄白くさえ感じたそれは純白などではないのだと気づいた瞬間、畏れが駆けた。
「うらべ、ちが」
無造作に卜部が包帯を解こうとする。藤堂の口が戦慄いて止めようと手が上がる。包帯を解くのを止めた卜部は紅く沁みた箇所へそっと指を添えた。ちょっと血が上るとすぐこれなんだよ。まだ皮膚が覆いきれてねぇのかもな。ぎちぎち、と爪先が紅く湿る布地を圧して裂こうとする。ぶちぶちと肉の裂ける音さえ聞こえるような気がした。
「うらべ」
ぐず、と肉の割れる音がした。
「――よせ!」
卜部の指先が瞬時に真紅に濡れそぼつ。抉ろうとするそこがどこであるかを知った刹那に戦慄した。

しんぞう

跳びかかると肘を掴む。ぬるりと紅い糸をひく指先が引き抜かれてバランスを崩した体勢のまま二人はもつれるように倒れこんだ。卜部の呻く声が耳朶を打つ。
 涙さえ流せない。藤堂の視界は渇いて鮮明で、涙ぐむようないじらしさもない。こういう時に泣けたら責められるようなこともないのだろうかと想った。卜部の指が心臓を抉ると思った瞬間に体が奔ってその行為を阻害する。その行為の組立さえ冷静で冷徹でどうすれば効果的かを刹那に計算する。感情的な弛みさえ薄く、だからきっと私は。

だめなのだ

卜部は慰めない。いたわらない。小振りな茶水晶はただ静謐に藤堂を映している。
「中佐」
えぐられる。涼しげで静謐な卜部は藤堂の有り様さえ抉っていく。犯されても侵されても藤堂は卜部から離れることは出来ない。ずっと触れ続けた異物を肉や皮膚が呑み込むように、藤堂の中で卜部は不可侵で分けることさえままならない。絡みあう正負の感情や好悪は複雑で血を見る程度では収まらない。領域はすでに曖昧だ。それでも卜部の感情の奔りさえ藤堂には解らない。卜部は藤堂の先回りをして好くしてくれるのに藤堂にはそれはひとひらさえも解らなかった。
 「泣けたぁいわねぇけど動揺は顔に出せよ。表情が抜けるとあんた怖いぜ」
くっくっと嗤う卜部に蟠りはない。長い指先が藤堂の唇を撫でる。血臭がした。卜部が嗤う。
嗤う。
笑う。
咲う。
藤堂は穏やかに笑うと血塗れの卜部の指を口に含んだ。淫らに舐めすする。卜部の熱を胎内へ飲み込むのはいつものことだ。奇妙に慣れた行為に高揚した。
「あんた俺の上でケツ振ってくれんの?」
大きな手が藤堂の脚の間を掴んだ。藤堂は黙って微笑うと服の留め具や釦を外した。


《了》

なんか本当にどうかしてるね           2013年7月20日UP

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